たぶん これは、“対立” を表現しているのだろう。
シューマンの交響曲第4番 第3楽章は、
そう思って聴くと、しっくりくる。
大きくいって2つのムードが、交互に繰り返されるのだが、
その2つの間に、“断絶” を感じるのである。
勇壮で緊迫感のあるメロディに聴き入っていると、
突然、おだやかで やさしいメロディに変わるのだ。
そこには、まるで 接続詞を省略した文章を読むような 違和感 がある。
あるいは、速球のあとにスローカーブがくるような 肩すかし感 とでもいおうか。
慣れるまでは、聴いていて いまひとつ スッキリしなかった。
正直に言えば、最初に聴いた時は、
「おい、なんだよ、せっかく盛り上がっていたところなのに …」
と、ちょっとイラッとした。
“対比”が表現される時の よくあるパターンでは、
「今から変わりますよ、ハイ、変わりましたよ」
というような“つなぎ”が入る。
そうすれば、“流れ”が壊れにくいからだろう。
ところが、この曲では、
不親切というか、聴く者を試しているというか、
「わからなければ、わからなくてもいい」
とでも言うように、流れがブツリと寸断される。

今回 聴いているのは、このCD。 PHCP-10555
それでも、また聴きたくなるのが、この曲の魅力。
すると不思議なもので、何回か聴くうちに、解釈が好意的になってくる。
「スムーズさを多少犠牲にしても伝えたかった、文学的な裏メッセージがあったのではないか?」
「なにしろ周さん、ロマンティストだからねぇ」
「ここは、これでいいんだよ」
「シューマンは、こうでなくっちゃ」
「よくやった秀人」
というふうに。
なんだか、思うツボに まんまと ひっかかった気もするが、
聴くたびに評価が変わっていくのもまた、音楽を聴く楽しみの1つだったりするので …
以下、蛇足。
シューマンといえば、左下の肖像画が有名だが、
何か 「若い時は美男子でした」 といっているようでイヤだ。
個人的には、山崎邦正 氏を連想させる 真ん中の肖像画が良い。
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